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みかんの伝説

 
 柑橘類の原生地はアジアの広域に渡るようですが   
原生地から東進したみかん類は
やがて江戸時代以前のかなり古い時代に
中国から日本に伝わったのではと思われています。




 遣隋使、遣唐使による柑橘伝来

 (飛鳥時代 607年頃から)

 遣隋使、遣唐使による中国大陸との交流により、
 交流に地理的に近い九州に種々の柑橘が
 持ち込まれるようになりました。でも柑橘は種による
 増殖は出来無いと言う事です。
 きっと、いろんな失敗を繰り返しながら
 栽培されだしたのでしょうね。
 そして、
 肥後の国八代郡高田村(熊本県八代市)
 
で栽培されだしたのが中国の浙江省から伝来した
 小みかんで あったとされています。

 やがて、1574年、伊藤孫衛門が紀州に持ち帰る
 事になるのがこの小みかんという伝説なのですが・・・・。


 紀州蜜柑伝来紀


            MEMO

  「ダイダイ」について
  「橙」はお正月のお飾りにつかいますね、
  「代々」とも書きます。
  橙は実が落ちにくく、いつまでも木になっていて、
  何年か前の実が同じ木になっていたりするのです。
  親から子へ、孫へと「代々」続く事に例えられて、
  とても縁起のよい果物なのです。
  そして中国では古くから漢方薬の原料で、香りも良く
  発汗、強壮、消化、食欲増進に効果があり、
  不老長寿の果物だったようです。


  「タチバナ」について
  「橘」はおひな祭りに桃と一緒に飾りますね、
  古くから自生するみかん科の常緑樹です。



 田道間守(タジマモリ)よる柑橘伝来
 日本書紀(奈良時代 720年に編集)より

 十一代垂仁天皇の御代(西暦61年頃)新羅(しらぎ)
 の国から帰化した子孫,、田道間守は、病中の天皇の
 命によっって、暖かい地に育つ果物、
 非時香果(トキジクノカグノコノミ)を求めて旅に出ます。
 10年後、その果物「橘」を得て帰国しますが
 帝はすでに亡くなられていたので、
 田道間守は「橘」が育つ温暖な気候の土地を探し、
 その土地に「橘」を植えました。熊野街道沿いの
 海草郡加茂村(現下津町橘本)が田道間守が「橘」を
 植えた地ということで、田道間守は今も、
 
「橘本神社」にみかんの始祖として祀られています。

 ここで、もう一つ和歌山のみかんの伝来と
 関係のある肥後の国八代の田道間守伝説
 
がありますのでご紹介します。
 田道間守は垂仁天皇の崩御を聞き、その皇子である
 景行天皇に「橘」を献上しょうと、当時、都から九州へ
 旅しておられた天皇を八代まで訪ね、高田村付近で
 天皇とめぐり合い「橘」を献上しました。そして
 景行天皇は高田の地にこの「橘」を植えられました。

 やがて、この橘が1574年伊藤孫衛門が
 紀州に持ち帰る小みかんであると言う
 伝説なのですが・・・・・。

 田道間守が持ち帰った橘は、実は「ダイダイ・橙」
 であったとの説がある様です。

 「橘」は古くから西日本に自生しており、田道間守が
 十年の歳月をかけて探し求める事はなかったのでは
 と、そう考えられているそうなのです。



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   紀伊国屋文左衛門   

 橘本神社 
お祭りの様子はこちらです。

紀州有田みかんの始まり
有田みかんの始まりは代表的な説が二つあるそうです。
一つは有田市糸我町での自生説、もう一つは糸我町への移植説です。

その1】 有田市糸我町自生説


糸我社由緒書

 文化7年(1810年)、当時の《糸我稲荷神社》の宮司、林周防と言う人が
社伝を記したもので、この中に糸我町での自生説が記されているそうです。

糸我稲荷神社は京都伏見稲荷大社の創建711年より60年古く
わが国最古の稲荷神社と言う事です。

年号
 糸我の庄中番村の地に橘一樹自然に生え出て、年々実を結ぶ、
 その味、蜜の如し、よって蜜柑と号す。


 現代の有田市に自然に育った橘が年々実がなってその味は蜜のように甘くて
 蜜柑(みかん)と名づけたと言う事です。

室町時代
1429年
〜1440年
永享年中
室町時代
後期

1521年
〜1527年
 自生した橘に接木が始まった。
1552年
天文21年
 実った蜜柑を糸我社に供う。
1555年
弘冶元年
 その年の初穂(新芽)を伊勢神宮に奉納された。

その2】 糸我町移植説

紀州蜜柑伝来記

江戸時代の最もまとまった柑橘の歴史の書物として和歌山県立図書館に収められています。
享保19年(1734年)有田郡石垣組中井原(現在の金屋町)の
中井甚兵衛という人が160年前の蜜柑の歴史を調べ書き残した書物だそうです。
その内容をまとめてみました。

年号              
                  紀州蜜柑伝来記
安土・桃山時代
前期

1574年
天正
2年











 《有田郡宮原組糸我中番村の伊藤孫右衛門と申すもの
 肥後の国八代と申す所よりみかんの小木を求め来たり、初めて糸我庄内に
 植継ぎ候処、蜜柑土地に応じ、風味無比類色香果の形他国に
 勝り候に付き、次第に村々へ植え広げ申候。》


 伊藤孫右衛門と言う人は当時、糸我の庄の村長さんでその役職で若山(和歌山)の上司宅に
 時々公用で出向いていたそうです。ある時、肥後の国八代(熊本県八代市)に
 蜜柑という果物があって紀州藩にも植え広めたいので、蜜柑の木を求めてくるようにと
 命令を受けました。山に囲まれ、地畑での作物の収益が少ない紀州藩の
 政策だったのでしょうか・・・・。
 当時、各藩の特産物は大切な財産でしたから、藩外への持ち出しはご法度でした。
 孫右衛門は蜜柑の小木の取得に苦労し、一計(盆栽用に持ち帰りたいと・・・)を案じて
 小木2株を持ち帰りました。1株は和歌山城内に植えましたが立ち枯れ、もう一株は自分の畑に
 植えて育てました。蜜柑は土地に合い成長し、古くからあった柑橘に接木したところ美味しい
 小みかん
が実り、その蜜柑は風味良く色も形も美しく他の果実は到底及ばなかったと言う事です。

 
安土・桃山時代
後期

1596年
慶長元年









 《慶長の始めには保田の庄、田殿の庄へも1村に50本、70本程ずつ
 生い立ち候由。夫れより年々相増し籠数も出候に付き、
 大阪、堺、伏見へ小船で積送り申し候。そこへも山城の国より蜜柑
 出で候得共有田の蜜柑格別勝り申すに付き値段高値に買われ申し候。》


 孫右衛門の育てた蜜柑は村人に分けられ、増殖や研究をかさねた結果
 慶長の始め(安土・桃山後期1596年〜)には保田の庄(有田市)、田殿の庄(吉備町)あたりに、
 50本、70本程ずつ育ち始めました。その後も年々増え、大阪、堺、伏見へと小船で
 出荷するほどなり、その頃、山城の国(京都府)からも蜜柑が出荷されていましたが
 紀州みかんは格別に勝って高値で取引されたということです。


江戸時代
1603年
慶長8年
 徳川家康江戸幕府を開く
1634年
寛永11年


 この時代に滝川原葱兵衛という人が蜜柑を4百籠程(1籠は約14キロ入り)
 江戸廻りの船に他の荷物と積み合わせ江戸に運んだところ、大変な高値で売れ
 この頃から蜜柑を換金作物として意識し、紀州の山々に蜜柑の木が増え始めたということです。
 

 江戸時代後期までの蜜柑は小ぶりで種のある小みかんのことで、
    今、私達の生活の中で親しまれているみかんは温州みかんという品種です。
    改良を重ね、極早生、早生、中生、晩生とあります。

          ごくわせ わせ なかて おくて
1651年
慶安4年
 
 1603年、江戸幕府が開かれてから1651年、徳川家光が将軍を退くまで江戸の町は
 江戸幕府確立のために、築城、藩邸の建築、道路整備とそれは、それは活気に
 あふれた時代でした。
この様な事情を背景にして江戸の蜜柑の需要が益々高まりました。

1734年
享保19年


 『紀州蜜柑伝来記』が書かれた年です。                  


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 ふいご祭り


 江戸の町では毎年11月8日に
 その頃、鍛冶屋には無くてはならない‘ふいご’を
 おまつりするふいご祭りありました。
 その日は鍛冶屋はふいごの火を消し神棚にまつり、
 季節の果物である蜜柑をお供えし、その後、みかんを
 子供達に投げ与えたので、その日はどこの鍛冶屋も
 子供達でいっぱいだったそうです。
 江戸時代のこと、刀とも深いご縁のある
 鍛冶屋さんの大切なお祭りだったようですね。


 
 みかんの防腐剤

 江戸まで一ヶ月を要したみかん船、
 
 みかんが船で運ばれた時代は江戸まで1ヶ月を
 要したと言う事です。季節は秋といえども
 船の中で腐ってゆくみかんもあったに
 違いありません。それを防ぐために
 石菖(せきしょう)や山ももの葉を使ったそうです。
 石菖と言うのは、さといも科の植物で芳香があり、
 菖蒲の葉に似ているそうです。
 菖蒲湯はこの葉を使ったとも言われています。


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見渡す紀州の山々はみかん色・・・・。
先人のご苦労が忍ばれます。


「紀州有田みかんの起源と発達史」
を参考にさせていただきました。

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